2017年1月9日月曜日

丹後半島 古社巡礼② 2017.01.01

昨日のお祈りが効いたのか良いお天気に恵まれそうな平成二十九年初頭 標高640mの由良ヶ岳を望みつつ丹海バスの始発の時刻表と日の出時刻表を睨めっこ どうやらバス乗り場へ急がないと御来光を待っていてはこの後の予定が狂いそうでありました というわけで阿蘇海と天橋立がちょこっと赤く染まるのを横目で観つつ出立の準備万端本日の古社巡礼行動開始です


延喜式神名帳明神大社丹後国一之宮元伊勢籠神社 
本年第一社目はこちらにおわす古代より由緒正しき驚異の歴史を秘めた 宮津市天橋立を渡った先に鎮座する籠神社(コノ神社)であります 早朝から参拝のお客様で溢れかえって御座います 神社前の国道178号線がすでに渋滞しておりました 何故に公共交通機関を使わないのか謎です 意味が解りません 駐車場それほど大きくないのですが自家用車で溢れかえっておりました 『○鹿』ですねはっきり言って
それはさておきまずは参拝です コンクリートの参道を進みます
弐之鳥居と神門 籠神社の籠(コノ)の由来でありますが御祭神の彦火明命様が籠船に乗って龍宮へ向かわれた故事に因むとか 籠とはいわゆる駕籠(カゴ)のコでしょうね
玉砂利が深く敷き詰められた神門前 狛犬様は普通に鎌倉時代の作だそうで その昔何故かグレて天橋立で暴れまくっていたとかいないとか
ぇ~注意注意拝殿本殿は 全て撮影禁止です 全て撮影禁止です
駄目ですよダメですよ どっから撮っても隠し撮りもダメですよー
まー過去に何があったか解りませぬが 神様の配置の記録だけして眞名井神社壱之鳥居前までトボトボ歩いて来ました なにやら案内書きがありましたがこの時はあまり気にせず
天橋立を遠望しながらテクテク登っていきます 籠神社から約500m程離れていましょうか 
到着して吃驚 社殿改築の大工事中でした どうやら案内板に書いてあったのはこの件であったらしく 要約すると此処の神様は仮殿に御移し終わったからここにはいないよ だけど磐座は古代よりの神様がいるから拝んでおいき 工事完成は平成三十年秋だよ 浄財寄進をよろしくだっつうことであった なあんだってこともありますが奥の磐座の場所まで参ってお詣りいたしましたが ここも撮影禁止の看板が 完全に工事用シートに囲われて写真どころではありませんが よっぽど撮影禁止にする良からぬ事情があったのでしょう 近年ぱわぁすぽっとだとか訳の判らない変なコトバで神域を荒らす物の怪が多いようで 此の場所も目が行き届かないのでしょう(後日お邪魔した某古社の神職のお言葉) これも時代の要請なのでしょう仕方ありませんね
然る後時間を持て余し笠松公園を徒歩で登ってみようと丹後一宮別当寺天蓋山大谷寺で真言を唱え安全祈願を行った後661段(かな?多分)の石段を登り始めました
いい運動にはなりましたが特に変り映えのしない写真で申し訳ない 光線がダメですね
気分を変えて天橋立を南側へ渡ってみましょう
元旦の日本海宮津湾天橋立の砂浜を行く惑星調査員 
                   砂州の構造とかの調査はしないんですかっっっ
水上をカッ跳んでゆく 傘松観光モーターボート12名乗りのTomcatAERO 
後方は溝尻集落の舟屋と妙見菩薩多宝塔
天橋立の一番太い部分に鎮座する八大龍王をお祀りする天橋立神社
社殿前の白梅がけっこう咲いてました うららかな良い陽気でございます
余り知られていない桜山展望台に登ってみました 天橋立駅から駅前の街並みと観光ホテル群そして海を分ける天橋立 手前阿蘇海 奥に細長く宮津湾と若狭湾から日本海へ
今渡ってきた天橋立のさらに向こう遠くに見える島陰にある伊根町へこれから参ります まずは天橋立駅前から12:50発丹海バスに乗り込みましたが
撮影ファイル情報を確認すると撮影時刻は14:18 バス到着予定時刻は13:48 国道178号線籠神社初詣渋滞で30分遅れの到着です
バスの中でぐっすり寝れました(半分嫌みですが)
長閑な舟屋の風景 鳥屋集落の伊根湾側と
同じ個所の山側 伊根町コミュティバス亀山日出線バス停は年末~三が日はお休みです
亀島慈眼寺下の入り江をぐるりと舟屋が取り囲んでいます
トビ?らしいのですがカモメと魚の取り合いをしていました 結構いい迫力でした
後から気が付いたのですが 郵便ポストが普通に海側にあるのですね
元旦の亀山集落の舟屋 
シーンと静まり返り 鳥の鳴き声と潮騒それと艫綱が軋む音しかしません
土蔵の妻面に御目出度い鶴と亀の蔵印
路傍の仏様に手を合わせます 明日も良い一日になりますように
時刻は16:35 夕闇迫り舟屋と伊根湾を紅く染めます
朝焼けで始まり夕焼けで終わった元旦の丹後半島古社巡礼 本日は半分以上観光旅行で終わってしまいましたね 籠神社と眞名井神社は本当はもっとしっかり参拝して勉強したかったのですが まぁ元旦の神社ではなかなか思い通りにはならずそれもいたしかたないでしょう 
この調査旅行の発端は実は随分昔に籠神社宮司家所蔵国宝『海部氏系図』とそれに注釈が加わった写本『海部氏勧注系図』に興味を持った為でありました 内容は他webサイトに譲りますが関連図書等読むとある特定の登場人物の一団がある歴史上の人物に合致するのではないのかと まぁ所謂日女命=卑弥呼論のことであるのですが 色々古代関連図書を読むと妄想がひろがりますねっっ
完全に日暮れてしまいました又丹海バスに揺られて今夜の宿へ向かわねば ではご覧の皆様次回更新まで暫しさらば

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