2017年3月28日火曜日

白浜神社 静岡県下田市白浜 

伊豆急下田駅から観光ホテルやリゾートホテルの建ち並ぶ国道135号線東伊豆道路を河津方面に10分程進むと 雄大な白砂のビーチが広がり地元サーファーと海水浴客の天国になっていますが その雄大な砂浜を遮るように火達山と呼ばれる小山が太平洋に突き出ております その火達山に鎮座されておられるのが今回御紹介いたします通称白浜神社 古来よりの正式なお名前は『伊古奈比咩命神社』イコナヒメノミコト神社と申し上げます
社伝によれば遥かに遡ること神代の頃に南方より此の地においでになられた三嶋の大神が伊古奈比咩命をお妃にお迎えし他の神々と御一緒に伊豆の島焼きを行いました それが現在の伊豆諸島になったと伝わっております
春のある日のお社の様子 どうぞご覧ください



三嶋の大神を御迎えするための注連縄と鳥居に日の出直後の太陽 
場所をやや変えて海浜鳥居より日の神をお迎えする 日女の命のお迎えでなく失礼します
昼間の海浜鳥居の様子 左側の岩場は落石の為進入禁止になっていました
左上の崖が崩落したようです 一体何トンあるんでしょう 下敷きになってたらひとたまりもありません 後で調べたら2015年6月17日午後2時頃に崩れ落ちたそうです GoogleMAPで見てみると何やら不思議な形状の崖と窪みが在り御釜と呼ばれているそうです 非常に気になる場所ですが当然立入禁止です
取り敢えず三嶋の大神に拝謁して諸々安全のお祈りを申し上げるほかないようです
社殿に戻りましょう まずは境内の禁止事項でありますが 
え~馬乗り入れ禁止 
魚鳥等捕るなっ と 
竹や木々を伐採するべからずっ と
昭和21年ったら終戦の翌年で御座いますればまだまだ混乱の最中であったのでしょう
境内地は国道135号線に面しており東海バス白浜神社バス停真ん前であります
壱之鳥居から参道へ 二本の御神木を拝礼しつつ奥の拝殿へ 
万延元年(1860年)造営の入母屋造の拝殿 
拝殿脇の石段を昇ってゆくと本殿へ到達します
本殿には伊古奈比咩命様と御一緒に三嶋大明神 見目大神 若宮大神 剣御子神が其々お祀りされております 
三嶋大明神又は三嶋の大神ってお方が一筋縄ではいかない神様でありまして 伊豆の島々をお造りになられる前はどちらにいらしたのかと その伝説が二つに分かれております
ひとつは愛媛県今治市大三島に鎮座する伊予国壱之宮大山祇神社の御祭神大山祇命 関東では神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社の御祭神であらせられます オオヤマツミとは大いなる山の神との意味でありますが 伊勢原市の大山がそうであったように古来よりの海上交通の目印の山に鎮座しており 又大三島のように島の神として海をも治める大神としての性格もあります それが伊豆諸島を作った火山の神の性格とも合わさり 山神+海神+火神=三嶋大神になったらしいと
もうひとつは出雲神話に登場する八重事代主命 美保ヶ崎で漁をしていた事代主命に天津神々が国譲りを迫ると 乘っていた船を踏み傾けて「天の逆手」を打ち舟を青紫垣に変えてその中に籠られた 「天の逆手」が何を伝えているのか謎ですが 明かに天津神々への呪詛を表していそうです そのお籠り(ひきこもり=ニートっすねっ)の後に出てきた場所なので出(イズ)る所=伊豆であったと 又元の場所は喪に服していた=イズ+喪=出雲であったとか 
どうやら今の下田市周辺が元の賀茂郡であるのも この事代主命を主祭神にしていた賀茂の名を持つ集団が出雲や近畿から移住してきたようです その根本は今の奈良県御所市や大和高田市周辺の葛城と云われる地域であり いまでも当地には賀茂の名を持ち事代主命をお祀りしている鴨都味波八重事代主神社=鴨都波神社が鎮座しております
どちらの説であっても三嶋の大神は当地より伊豆国の国府が置かれていた地(現在の三島市)へ遷座され三嶋大社となっている 賀茂氏の伝承発掘は同族でもあった修験道の開祖役行者の活動とも関連し各方面で研究が続けられている 私が一番興味を持ったのもその絡みであり 特に役行者が一言主命(=事代主命)を使役したためこれを嫌がって時の帝に小言を言って捕えさせ伊豆に流された部分等 なんか人間臭い行いをするへなちょこ神様とその神様を構わず使おうとする超人的な歴史上の人物 この構図好きです
話を戻し 三嶋の大神は国府の地に御移りあそばし お妃の伊古奈比咩命は当地に残り 御分霊とその随身三神とで当地を治め今の世に至ったわけです
今回の更新 海浜鳥居の部分は3月19・20日に撮影 その他の部分は2月12日撮影であります 
賀茂氏と伊豆との関わり まだまだ調べが足らず現地に赴く機会も増えそうです 又次回に結果をご報告いたしましょう それまで暫しさらばでありんす

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