ここは甲府盆地の北の山際 国道411号線甲州裏街道~城東通り(旧甲州街道)石和の街を抜けて甲府市街地に入るちょっと手前の小高い丘の中腹 此の場所に甲斐の国一番の梅の名所 奥村不老園がございます 開花8分位でしょうか でも梅の見頃は咲き始めと申します 春うららの庭園の様子どうぞご覧ください
おっと不老園へ赴く前に 道筋途中にある酒折宮に参拝していきましょう こちらの神社は景行天皇御子である日本武尊命が蝦夷地平定の後此方へ立ち寄り 塩見宿祢(正月旅行で縁のあった彦坐王御子)を呼び出しあるものを渡してこの地を治めよと そのあるものとは景行天皇妹の倭姫おばさま(この方も元伊勢巡りに縁がありました)に貰った火打石の袋?って袋を渡されたのか大事な火打石丸ごと渡されたのかよく判りませんがそれが当社の御神体になっているとかいないとか
で そのちょっと抜けてる?おばさまLOVE!な武尊くんが夕飯食べながら 「新治(今の笠間市辺り)筑波を過ぎてから何泊目か?」と従者に聞いたら その従者は答えられず 代わりに火の番の子が「そうね大体ね♬九泊十日だね!」と答えたらしいのだが それがどうやったら問答歌になって連歌とかの謂れになるのかがよく判りませんが(あんまりアカデミックな人生ではないので)まったく神社関係やってると脱線しまくりますね 以下は不老園本編に移動します
梅天神の御祭神はもちろん菅原道真公であり 昭和52年の冬に北野天満宮より御霊を御分霊されたようです
その梅天神とは別に古天神と呼ばれる遺跡が不老園のある酒折御室山中腹にあり 不老園塚古墳と名付けられ学術調査がなされている
どうやら酒折宮で日本武尊命が塩見宿祢を呼びつけて此の地を治めよとの命令を発したのは此の御室山の存在が元々知れ渡っており 神の依代としての神籬や神奈備として機能してきた歴史があったためのようだ
不老園の頂上展望台から先は立入禁止のロープが張って在り 現地まで赴く手立ては無いが 山梨学院大学の学術調査報告がHPで閲覧可能である
山梨学院ニュースファイル ☞ http://www.yguppr.net/100921ygu_main.html
というわけで この不老園と酒折宮のある甲府盆地北部地区に 過去の一時に於いて何やら重要な祭祀の行われていた痕跡が在り 日本武尊命であっても避けては通れなかったようだ(日本武尊命の実在×非実在を問わず)
不老園の美しい花梅の写真を並べながら しかしてその内容は神体山型古代祭祀に思いを馳せるという この変態二重性惑星調査員 相変わらず捻くれてますね
右手日本百名山 間ノ岳(3189m)左手農鳥岳(3051m)
南アルプス赤石山脈の主峰北岳(3193m)は鳳凰山のかげになって観られませんが 第二位の山 いえ日本山岳標高第四位の間ノ岳が拝めます 富士山→北岳→奥穂高岳→間ノ岳の標高順です 奥穂高岳との標高差は50センチだそうです
南アルプス間ノ岳を望みつつ甲府市街地の様子も遠景 真ん中にワシントンホテル その右手はNTT東日本のアンテナ その右手に甲府市役所とひときわ高いビルは甲府の新しいランドマークKOKORI その右手のアンテナの乗ったビルは山梨県庁舎防災新館
シャトー酒折ワイナリーを遠望す いっやぁ見学に行って試飲してくればよかった 彼方側からの絵も欲しかった 失敗失敗 次回機会あったらチャレンジしようてことで 花梅観つつ 甥っ子思いの倭姫と武尊くんの道ならぬ恋に思いを馳せつつ?
(絶対おかしいあの関係はby古事記)
今回の日曜日のショートトリップ そこら散歩じゃなくなりましたが ほんっとに狙ったように曰くありげなとこしか行きませんなこの惑星調査員は 宿命なのだろうかこれは
次は普通に観光旅行ができることを祈ります では次回更新まで暫しサラバでありんす
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