2月のよく晴れた日曜日 伊豆半島最南端を南伊豆東海バスと徒歩で移動した記録 どうぞご覧ください
終点で降ろされた場所は『がけ崩れ危険個所』なんてとこでしょ
取り敢えずなにもかも全てが左側にあるようです 自分も左に行くしかありません
何もない港でボーと海を眺めていたら ものすごい隙間から遊覧船が入ってきました
観光バスから結構多くのお客さんが遊覧船に乗り換えて岬巡りに出発していきました
遊覧船を見送って結構いい勾配の坂道を登り 伊豆半島最南端の石室神社を目指します
参道途中に石廊崎灯台の脇を通る場所がありますが敷地扉は施錠されていました
最南端到着いたしました 太平洋に向かって思いっ切り岩礁が突き出していました何やらものすごい場所に建物がありますが こちらの建物が石室神社の社務所拝殿本殿全てを兼ねた建物で御座いました
崖下の窪みににへばりついて鎮座しております 足元は材木と伊豆七不思議のひとつに数えられる千石舟の帆柱で支えられております 確認用の窓が作ってありましたが古くなっている為か摺りガラスの様になっておりまともな写真になりませんでした
延喜式神名帳には伊波例命神社と記載され当地に比定されている石室神社でありますが石廊崎と同じく「いろう神社」とお読みします 伊波例命=いわれの命とお呼びする神様がお祀りされており 大宝元年(701年)に役小角によって当地に神仏合祀の石廊権現として建立された さらに前時代からの伝説として伊豆七島より物忌奈命を此の地に勧請鎮座させたのが弓月君の秦氏一族であると 故に現在は伊波例命様と物忌奈命様の二柱の神様と十一面観音菩薩様がお祀りされています
岬の最先端の祠には熊野神社として建速須佐之男命をお祀りされている との説明があったのですが何故に熊野の社名でスサノオなのか謎である 実は神変大菩薩様でもお祀りされているのでないか とか勝手に妄想 伝説によれば伊豆大島に流罪となった役行者が毎晩当地に上陸して富士山に向かい頂上で修行を行っていたとも 地名の賀茂郡も実は役行者の出た氏族=賀茂氏であり 非常に縁の深い土地であったのではなかろうか
遊覧船が石廊崎の真下にやってきました 下から見上げると結構いい迫力なんでしょうか
伊豆大島三原山の山頂部は積雪が残っていました 遊覧船は岩礁地帯をぐるぐるします
石廊崎灯台バス停に南伊豆東海バス11時47分発下田行がやって来ました 下田行最終です バス2本しかありません お客さんいるんでしょうか 多分観光施設が機能していた時期には少しはお客様がいらしゃったんでしょう 石室神社からこの場所まではその元観光施設の廃墟脇通路を横断通過するしかありませんでした 解体工事と道路工事が日曜日であっても行われていました 次の反対方向西伊豆方面行きバスは13時19分吉祥行き最終ですが 次の中木集落まで歩きます
ユウスゲ公園という場所まで歩いて来ました 石廊崎灯台から廃墟の写真やバスの写真を撮りながら一時間位でしょうか 画像ではわかりませんがものすごい西風が顔面直撃中です 真っすぐ立ってカメラが構えられない程でした
そのユウスゲ公園の茂みに分け入って崖から落ちるぎりぎりまで行ってみた なにやら秘密基地になりそうな岩礁地帯と自然のトンネル どこにも道がないので有史以来誰か人間が到達するとしたら難破して流されること以外にあるのかしらん とか相変わらず妄想癖
こちらは結構有名なヒリゾ浜と大根島 まぁここも道が無く中木港からのボートでしか行けませんが 透明度と美しさは伊豆半島随一とか
いつも感心して尊敬する植物達 どんなとこでもへたばりません突っ立ってます
中木集落に辿り着いたら丁度13時28分発下賀茂行きが到着しました これを逃すと次のバスは一時間四十分ありません 大急ぎでバス停の写真を撮ってバスに乗り込みました
下賀茂終点到着 今夜の宿はこの町に取りました 此処まで来ると結構バスの本数の多い中規模の町で 南伊豆町役場や若干の商店街もあったりします
もちろん当地がみなみの桜と菜の花祭り開催地です 河津桜と菜の花の状況は別項にて
伊豆半島南端の旅 どうやら記録にあまり残ってないだけで 古代より中央豪族の一団が結構頻繁に到着していたようで 「海の路」てんでしょうか 陸上よりもそりゃ物資の運搬は海上のほうが有利ですものね 特に秦氏の一族が当地よりさらに北上し今の神奈川県秦野市に到達定住したとの伝説もあると 隠された歴史忘れられた捨てられた古代の歴史おもしろいっすね
では今回の更新はここまでで失礼します また何れかで サラバでがんす
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